81,000人が答えた
Anthropicが81,000人を対象に調査を行った。AIが人間に何をもたらしているか。結果は興味深い。
教育者の間で、ある言葉が広がっている。「認知的萎縮」。AIを使うほど、人間の思考力が衰えていく現象を指す言葉だ。教育者はこの萎縮を、一般の回答者より2.5倍から3倍の頻度で目撃していると答えた。
数字だけ見れば、深刻な警告に見える。
だが、本当にそうだろうか。
萎縮はしていない
結論から言う。
認知的萎縮は、起きていない。剥がれたのだ。メッキが。
AIが来る前、人間は「自分で考えている」と思っていた。企画書を書く。報告書をまとめる。提案資料を作る。すべて「思考の成果物」だと信じていた。
AIがその作業を代替した瞬間、何が起きたか。成果物の質が変わらなかった。あるいは、上がった。
これは何を意味するか。その人間がやっていたのは「思考」ではなく「フォーマットへの流し込み」だったということだ。
萎縮とは、あった能力が衰えることを言う。最初からなかった能力は、萎縮しない。
フォーマット人間
教育者が「萎縮」を目撃する頻度が高いのは、教育現場が最もフォーマットに依存した場所だからだ。
レポートの書き方。論文の構成。プレゼンのテンプレート。教育とは、フォーマットを教えることとほぼ同義になっている。
フォーマットに従って出力できることを「能力」と呼んできた。AIはそのフォーマットを完璧に再現する。結果、学生は自分でフォーマットに流し込む必要がなくなった。
教育者はこれを「萎縮」と呼ぶ。だが正確には違う。
フォーマットを埋める能力は、思考力ではない。そしてAIが代替したのは、まさにその部分だ。
思考力がある人間は、AIが来ても萎縮しない。フォーマットの先にある「何を考えるか」が本質だからだ。フォーマットしか持っていなかった人間が、フォーマットを奪われて裸になった。それだけのことだ。
増幅される人、代替される人
同じ調査が、もう一つの数字を出している。
起業家の47%が「AIによって自分の能力が増幅された」と答えた。企業勤めの回答者では14%。3倍の差がある。
この差が、すべてを物語っている。
起業家は自分で考えることが仕事だ。何を作るか。誰に届けるか。どう生き残るか。フォーマットでは答えが出ない問いを、毎日自分で立てている。AIはその思考の速度と精度を増幅する。
企業勤めの多くは、フォーマットの中で動くことが仕事だ。承認フロー。報告書。会議資料。AIがそのフォーマットを代替した時、残るのは「フォーマットの外で何ができるか」だけだ。
増幅されるか、代替されるか。分かれ目は「AIの使い方」ではない。AIが来る前から、自分で考えていたかどうかだ。
恐怖の正体
調査にはもう一つ、見逃せないデータがある。
AIに対する感情的な反応の中で、最も強い予測因子は「仕事への不安」だった。AIに対して否定的な感情を持つ人間の大半は、自分の仕事が奪われることを恐れている。
これは技術への恐怖ではない。自分への恐怖だ。
AIが怖いのではない。AIによって、自分の能力のメッキが剥がれることが怖い。
報告書を手作りすることが自分の価値だった人間に、AIが「それ、自動化できますよ」と言う。前作で書いた通りだ。「AIリテラシという嘘」で問うたのは、研修では変われないという話だった。
今回問うているのは、その一歩手前だ。変わる以前に、何が剥がれているのかを正確に見ろ、ということだ。
工場を出た先で
前作で、こう書いた。天才が工場に来た。工場は煙たがった。できることは一つ。工場を出ろ、と。
今回の問いは、工場を出た先の話だ。
工場を出た人間は二種類に分かれる。自分の頭で考え始める人間と、別の工場を探す人間だ。
別の工場を探す人間は、また同じことを繰り返す。フォーマットに依存し、フォーマットを奪われ、「萎縮した」と嘆く。
認知的萎縮は嘘だ。あなたの能力が本物かどうかを、AIが暴いているだけだ。
暴かれた先で何をするか。それは研修でも、AIでも、調査でも答えが出ない。あなた自身が、フォーマットの外に出て、初めて考え始めた時にしかわからない。